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ドラゴンブルーの地底湖「龍泉洞」の今昔物語

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 「龍泉洞」、全国でどの程度の方がご存じでしょうか?

 龍泉洞の位置は岩手県の沿岸北部にあります。地学的なことは学者の先生方にお任せすることとして、龍泉洞が初めて文献に出てきてから、現在までを紹介します。

 江戸末期に「三閉伊(さんへい)日誌」という南部藩士が沿岸部を回った時に冷たい水が出てくる洞窟と記載されています。

 すでにこの当時から住民は神様として水神・龍神を信仰していたようです。

 その当時は、「湧窟」(わっくず)と呼ばれ、昭和40年代までは地元でも古老をはじめ年少者も「わっくず」と呼んでいました。

 1938年(昭和13年)に天然記念物に指定されていますが、この当時から地元の有志は龍泉洞を探検しようとして、船を持ち込もうとしたが狭くて断念し、板を持ち込んで内部で船を造り内部を探検しています。この成功から船での観光が始まっています。

 昭和30年代に町営となり入洞料金を支払って観光できるようになりました。これには逸話があり、時の町長が天然記念物にもかかわらず文化庁に届けずに桟橋を造り、作った後に担当課長を文化庁に報告させたとのことですが、担当課長は大変な叱責を受けたそうです。この大英断(英知)があって今の龍泉洞が存在しています。

 12年前の東日本大震災時のことですが、当時は龍泉洞町営50周年記念を前に閉めて内部工事をしていました。洞内で地震に合うと内部は「ゴー」という音が響き渡り恐怖を感じます。内部で工事をしていた人たちの証言ですが、洞内の水が2~3m下がったと話しています。自分もこの時は、内部の写真は撮れなかったものの水が湧き出る場所を撮影しましたが、水位が下がり黒く濁っていました。なぜ水が引いたのか、考えられることは地下では海と繋がっているのではないかと推察されます。水が引いた時間と、引き波で龍泉洞の水も引いて行かれたのではないのかと思っています。

 龍泉洞は、安家石灰岩地帯のほぼ南端に位置していますが、南北に約20キロ、東西が2キロから6キロ位の巾があるとのことです。この石灰岩がどこから来たのか遠くハワイ方向からサンゴなどが流れ着き造山運動で隆起したとされています。造山運動で褶曲がおこり熱変性で石灰岩に変化しました。このことが海と繋がっていてもおかしくないと考えられる理由です。さらには、花崗岩も隆起してきているのですが、これは海底火山からのものです。

 この地区は、松茸が取れることで有名なのですがこの花崗岩が風化した「しらまさ」に松の木が生えて恵みをもたらしてくれています。

 脱線してしまいましたが、鍾乳洞も松茸も太古の海からの贈り物です。

 2016年(平成28年)8月30日台風第10号豪雨災害が、岩泉町を襲いました。

 北上山系に湿った空気が流れ込み線状降水帯が形成され、かつてない雨量を観測したのです。

 1週間ほど雨が連続して降り、山の治水能力もなくなっている所へ24時間雨量(30日19時10分まで)203.5㎜の雨が被害を大きくしました。

 30日の午後から雨脚が強くなり、前が見えないような降り方でした。(被害は全国放送で報道されています。)

 龍泉洞の内部は黒く濁り、増水し洞口から激しく水が湧き出していました。この被害で翌年の3月まで休まざるを得ませんでした。

 この水は、地表の分水嶺と地下の分水嶺が違っていて、地表は数キロ先に峠がありその面積はさほど大きくないのですが、地下では20キロほど先から地下浸透した水が龍泉洞に集まってきます。それはなぜかというと、安家石灰岩地帯の傾きが南(龍泉洞)に5度の角度で傾いているためです。

 さて、龍泉洞は岩泉町民に上水道として恩恵を与えてくれていますし、町の第三セクターが龍泉洞の水をペットボトルで販売、あるいは龍泉洞の水化粧品シリーズなども開発されています。また、これからですが、龍泉洞の水でクラフトビールの製造計画があり、ドイツから樽が届くのを待っているとのことです。

 このように龍泉洞は、観光だけにとどまらず水を利用し、その名前の冠をつけることで商品開発が行われていることは今後もますます期待大です。

 コロナからの回復が早期に臨まれますが、今年のゴールデンウィークにも大勢のお客様にお越しいただきました。三陸沿岸復興道路も昨年12月に全線開通しており交流人口・関係人口の増大に期待しているところです。

寄稿者 三田地久志(みたち・ひさし)岩泉町議会議員

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