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平成芭蕉の「令和の旅指南」㊳ 奥出雲「鉄づくり千年物語」

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出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~

「はがねの街」安来市の和鋼博物館

「アラエッサッサァー」の掛け声で始まる安来節のどじょうすくいで知られる安来の観光と言えば、日本有数のコレクションで知られる足立美術館や日本100名城にも選ばれている月山富田城が主流ですが、安来は鉄の流通拠点としても栄えた場所です。

今なお独特のレトロな雰囲気を伝える「はがねの街」安来市は、「安来千軒 名の出たところ」という、安来節の一節にうたわれ、たたら製鉄の港町として発展しました。日本が世界に誇る「たたら製鉄」の歴史を伝える和鋼博物館前のSL機関車もその名残で、安来港に注ぐ木戸川に架かる橋には引き込み線跡も残っています。

島根県奥出雲では冬季に「日刀保たたら」が操業し、その技術は日本刀文化を支える重要な基盤となっていますが、和鋼博物館では、その操業や玉鋼づくりを映像や実物資料で学べます。この博物館は日本でも数少ない「たたら製鉄」の総合博物館で、実物大のたたら炉、天秤鞴(てんびんふいご)や砂鉄採取道具に加えて日本刀などの国指定重要有形民俗文化財250点が展示され、鉄の歴史を体系的にたどれます。

安来の和鋼博物館
安来の和鋼博物館

「武士の魂」と称えられる日本刀の美しさと強靱さは、鍛冶職人の技だけで生まれたものではなく、その源流には、島根県雲南市、奥出雲町、安来市を舞台とする日本遺産ストーリー「出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~」がありました。

たたら製鉄と「鉄穴(かんな)流し」

日本遺産の認定地である奥出雲では、約1400年前から「たたら製鉄」と呼ばれる砂鉄と木炭を用いる鉄づくりが盛んでした。

そして、この奥出雲の大地では、鉄づくりの原料となる砂鉄を得るため、砂鉄を含む山を切り崩して水流に流し、比重を利用して選り分けて採取する「鉄穴(かんな)流し」が行われていました。しかし、その跡地は放置されることなく広大な棚田として再生されました。美味しい仁多米(にたまい)の産地であるこの奥出雲の豊潤な棚田は、砂鉄を採るために切り崩した山の跡地だったのです。

また、その棚田の中には、鉄穴流しの際に、鎮守の杜や墓地など神聖な場所は削らずに残した小山があちらこちらに残っており、鉱山開発にあたっても信仰を守り続けた先人の心を伝えています。木炭を得るため森林は大規模に伐採されましたが、森林を伐りつくさないよう約30年周期の輪伐を繰り返し、循環利用されたと言われています。

たたら製鉄を支えた「鉄師御三家」

この「たたら製鉄」が盛んだった江戸時代、松江藩には絲原、櫻井、田部家という「鉄師御三家」と呼ばれる製鉄業の中心的存在があり、藩の財政を支えただけでなく、風雅を愛した松平不昧公の頃には文化拠点にもなっていました。

まず訪れたのは大谷の絲原(いとはら)家で、16代の絲原丈嗣さんに記念館を案内していただきました。往時を彷彿させる館は国重要文化財に指定されており、藩主の本陣として利用された客殿棟と広大な客間を持つ母屋だけでなく、池泉回遊式の出雲流庭園も見事です。番頭や手代職人の住居や砂鉄採取の跡地を林間散策路として整備した「洗心乃路」は、紅葉の季節には見物客でにぎわうそうです。

絲原家住宅
絲原家住宅

次に訪れた屋号を「可部屋(かべや)」と称した櫻井家は、松平不昧公ご来訪の折に6代当主が造らせた日本庭園「岩浪(がんろう)の庭」が有名です。

櫻井家住宅と可部屋集成館
櫻井家住宅と可部屋集成館

可部屋集成館にはたたら関連資料だけでなく、櫻井家の美術工芸品や松平藩主の調度品も展示されています。

櫻井家の「岩浪(がんろう)の庭」
櫻井家の「岩浪(がんろう)の庭」

「鉄の歴史村」を標榜する雲南市吉田町は、田部家を中心に発展し、整然と並ぶ白壁の土蔵群は、往時の威光を伝え、有力者が暮らした石畳が敷かれた本町通り、鉄の加工場や職人の長屋などが機能的に配置されています。

吉田町田部家の土蔵群
吉田町田部家の土蔵群

この吉田川沿いに開けた田部家の企業城下町は、山側には寺社が点在しており、その北に生産拠点であった菅谷たたらが位置しています。この菅谷たたら高殿は、日本で唯一残るものとして国の重要有形民俗文化財に指定されており、押立(おしたて)柱4本を軸とする広い空間の中央には土で炉が築かれています。

菅谷たたら高殿と火と格闘する村毛

かつて、この地はたたらに従事する人々の長屋なども立ち並び、まさに映画『もののけ姫』の中に登場する「たたら」の山内を形成していました。また、近くには、「製鉄の神」金屋子神が降臨したと伝わる桂の木も立っています。

高殿の内部は薄暗く、中央の床下には、深さ数メートルに及ぶ巨大な防湿・保温遺構(本床)が築かれており、その上に粘土で「炉」が作られています。伝統的な「たたら吹き」では、この炉の中に良質な「砂鉄」と「木炭」を交互に投入し、三日三晩、不眠不休で風を送り続けます。その千数百度にも達する炉を管理し、炎の「色」だけで炉内の状態を見極める最高責任者が「村下(むらげ)」と呼ばれる職人です。

菅谷たたら「高殿」内の炉
菅谷たたら「高殿」内の炉

村下は、炉の中で噴き出す火花形状、そして刻々と変化する炎の微妙な色彩の揺らぎを目で捉え、砂鉄と木炭を投入するタイミングを測ります。

中国山地の砂鉄は、高殿で火と格闘する村下によって玉鋼となり、日本刀となって武士の魂を支えましたが、その技術は現代の安来鋼へと受け継がれています。この日本遺産の旅では、1400年にわたる日本の『鉄の文明』を体感できました。

※サムネイルは、菅谷たたら前に立つ平成芭蕉

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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