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岩にしがみつく命から、紫の文化へ

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海岸の石から見えてきた「自然を使う」ということ|みちくさFeelog #22

こんな小さな貝が、どうして剥がれないんだろう?

この夏、大阪湾の磯を歩いていた時のことです。

潮が引いた岩場には、海の中へ戻るでもなく、その場にじっと留まっている生きものがたくさんいました。

その中で、思わず手を伸ばしたのがマツバガイです。

岩にぴったり張り付いている。

「これくらいなら、簡単に剥がせるだろう」

そう思って指をかけてみました。

ところが、

剥がれない。

小さな個体なのに、思っていた以上の力で岩に密着しています。

少し力を入れても、なかなか動かない。

波が何度も打ちつける場所で暮らす生きものは、こんな力で岩にしがみついているのか。

知識として知るより先に、私の指が教えてくれました。

マツバガイは、潮間帯の岩礁に暮らすカサガイの仲間です。潮が引くと岩にしっかり固着し、簡単には剥がれない生きものとしても知られています。(宇久井ビジターセンター)


「2026年8月、大阪湾。潮が引くと現れる、海と陸の境界『潮間帯』」


岩から剥がして、裏側を見てみた

マツバガイを岩から剥がして裏返してみると、普段見えている硬い殻とは、まったく違う姿が現れます。

広い足。

柔らかな身体。

この面を岩にぴったり密着させていたんですね。


「岩に強く密着するマツバガイ。小さな個体でも、手ではなかなか剥がせませんでした」


「マツバガイの裏側。普段は見えない大きな足で、岩にしっかり密着しています」


波にさらわれない。

潮が引いても、その場所に留まる。

また海水が戻ってくるまで耐える。

生きものの身体は、その生きものが暮らしている環境と切り離して考えられません。

形には、理由がある。

前回のFeelog #20で、流れの速い川に暮らすヒラタカゲロウの平たい身体を見た時にも感じましたが、海でも同じです。

環境を知ると、生きものの形が読めるようになる。

生きものを見ると、今度は、その場所の環境が見えてくる。

これが面白い。

そして、これだけ岩にしがみついている身体を見ると、

「ずいぶん身が引き締まっていて、美味しそうだな……」

なんてことまで考えてしまいました(笑)。

「貝みたい」なのに、貝じゃない?

磯でみちくさしていると、さらに面白いことが起こります。

岩には、マツバガイ以外にも、いろいろなものが張り付いています。

例えば、カメノテ。

名前も姿も、なんとなく貝の仲間に見えます。

ところがカメノテは、貝ではありません。

エビやカニに近い甲殻類です。

国立科学博物館系の標本データでも、カメノテは節足動物門に分類されています。(科学館ネット)


「カメノテ。硬い殻を持ち、貝のようにも見えますが、実はエビやカニに近い甲殻類です」


そして、岩の上にピンク色の塊。

最初に見たら、

植物?

海藻?

何かの卵?

と思うかもしれません。

でも、これもカイメンの仲間=動物です。


「岩に付着していたピンク色のカイメンの仲間。植物のようにも見えますが、これも動物です」


さらに磯には、ヒザラガイの仲間もいます。

ヒザラガイ類はアサリやサザエと同じ軟体動物ですが、背中に8枚の殻板を持つため、二枚貝や一般的な巻貝とは別の多板類というグループに分類されます。(国立科学博物館)

磯を歩いていると、

「殻がある=貝」でもない。

「動かない=植物」でもない。

自分が勝手につくっていた分類が、どんどん崩れていきます。

私は、こういう瞬間が好きです。

「知っているつもりだった世界」が崩れて、

「じゃあ、これは何なんだろう?」

という新しい問いが生まれる。

これが、みちくさの面白さです。

海になったり、陸になったりする場所

そもそも、彼らが暮らしている潮間帯という場所自体が不思議です。

潮が満ちれば海の中。

潮が引けば陸の上。

数時間単位で、自分が暮らしている世界が変わります。

波。

乾燥。

強い日差し。

温度変化。

塩分の変化。

かなり条件の変化が激しい場所です。

だからこそ、

岩に強く張り付く。

殻を閉じる。

岩のくぼみに入り込む。

身体の水分を失わないようにする。

それぞれ違う方法で、この場所に適応しています。

一見同じように、

「岩に張り付いて動かない生きもの」

に見えても、生き方はそれぞれ違う。

そして、その違いを生み出している背景には、

岩があり、

波があり、

潮の満ち引きがある。

やっぱり、

地形や環境を抜きにして、生きものは語れない。

そんなことを、この夏の大阪湾で感じました。

そして、メキシコのニュースにつながった

そんな経験を思い出していた時、メキシコから興味深いニュースが届きました。

2026年9月4日。

UNESCOは、メキシコ南部・オアハカ州政府、Banorte Foundationと連携し、Pinotepa de Don Luisという地域で受け継がれてきた、紫色の染料を生み出す海の巻貝「Tixinda」と、その染色・織物文化を地域の暮らしや経済とともに支える取り組みを発表しました。

プロジェクトは、染色職人、織り手、工芸に関わる人たちとともに、文化継承だけでなく、金融知識やコミュニティビジネスの力も高めていく内容です。(ユネスコ)

「紫色の文化」

そこだけ聞くと、染織や工芸の話に見えます。

でも、少しみちくさして、逆向きにたどってみます。

紫色。


染めた糸。


人の技術。


海の巻貝。


潮間帯。


波を受ける岩場。

文化の始まりにあったのは、

海岸の岩だった。

そう考えると、急に私が夏に触ったマツバガイと、メキシコの伝統文化がつながって見えてきました。

貝を殺さず、紫をいただく

この文化の面白さは、

貝を殺して染料にするわけではない

ことです。

オアハカ沿岸では、紫貝から分泌液を得て糸を染める文化が長く受け継がれてきました。

メキシコ環境当局の資料でも、紫貝は岩礁潮間帯に暮らし、その分泌液が光と酸素に触れることで紫色の染料になることが紹介されています。(Gobierno de México)

伝統的な利用では、貝そのものを壊して染料を取るのではなく、分泌液を利用した後、生きたまま岩場へ戻します。

自然を使う。

でも、使い切らない。

必要なものをいただく。

そして、次にまた利用できる状態を残す。

現在なら、

「サステナブル」

「持続可能な利用」

と説明するでしょう。

でも地域では、そういう言葉が一般化するずっと前から、自然との関係の中で技術が磨かれてきました。

紫色は、海と太陽と空気がつくる

さらに不思議なのが、

貝から出てくる液体が、最初から鮮やかな紫色ではないことです。

紫貝の分泌物は、光と酸素に触れることで化学変化し、最終的に特徴的な紫色になります。(Gobierno de México)

人が分泌液を採る。

でも、人だけでは紫色をつくれない。

太陽が必要。

酸素が必要。

海辺という場所が必要。

そして、貝が必要。

つまり、一枚の紫色の布の中に、

海、生きもの、太陽、大気、人間の技術が全部入っている。

文化を「人間だけがつくったもの」と考えると、見えなくなるものがあります。

生きものの人生は、岩に張り付いている時だけではない

紫貝を調べていくと、もう一つ面白いことが分かります。

成体だけを見ると、岩に張り付いて暮らす生きものです。

でも幼生の時期には海中を漂い、海流によって運ばれます。

メキシコ太平洋岸のPlicopurpura pansaを調べた研究では、幼生が海流によって分散することが、離れた地域間の遺伝的なつながりにも関係していると考えられています。(Scielo México)

岩にしがみついている姿だけを見れば、

「動かない生きもの」

に見える。

でも、その人生の最初には、

海を漂う時間がある。

生きものは、今見えている姿だけでは分からない。

これも、みちくさしていて面白いところです。

「使うこと」が問題なのではない

ここで、一つ大切な歴史があります。

メキシコ政府の資料によると、1980年代前半から半ばにかけて、日本企業による工業的な利用を含む過剰な採取が行われ、オアハカ沿岸で紫貝の個体数減少が問題になりました。

その結果、工業的利用は禁止され、現在では保護対象となっています。(Gobierno de México)

ここで考えたいのは、

自然を使ったこと自体が問題だったのか?

ということです。

地域の人たちも、何世代にもわたり紫貝を使ってきました。

違ったのは、

どのくらい使うのか。

どんな方法で使うのか。

次も使える状態を残すのか。

そこにある気がします。

「利用する」

「守る」

という二択ではない。

大切なのは、

どう利用するのか。

なのではないでしょうか。

遠いメキシコの環境問題に見えて、

日本企業もその歴史の一部に関わっていた。

そう知ると、急に私たち自身の話にも見えてきます。

守るだけでも、文化は残らない

一方で、

「貝を守るため、もう誰も利用してはいけない」

としてしまったらどうなるでしょう。

貝は残るかもしれません。

でも、

染め方を知る人がいなくなる。

織り方が失われる。

その色を使う衣服の意味が薄れる。

仕事として続けられなくなる。

そして、文化そのものが途切れる可能性があります。

今回UNESCOが始める取り組みも、

「貝を保護する」

だけではありません。

染める人。

織る人。

地域の人。

その人たちの暮らしや経済まで一緒に支えようとしています。(ユネスコ)

ここに、地域創生を考える上で大きなヒントがあると思います。

文化を残したいなら、それを続けられる暮らしも残さなければならない。

自然を守りたいなら、

守ることが地域の負担だけにならない仕組みも必要になる。

自然。

文化。

経済。

本当は、最初から分かれていないんですよね。

これが「生物文化」なのかもしれない

今回、UNESCOが使っている重要な言葉があります。

Biocultural Heritage

生物文化遺産

私たちは、

自然遺産。

文化遺産。

と分けて考えがちです。

でも、

岩場がある。

そこに貝が暮らす。

人がその生態を観察する。

染料をいただく方法を覚える。

糸を染める。

織物になる。

衣服になる。

意味が生まれる。

仕事になる。

文化になる。

全部つながっています。

紫貝がいなくなれば、

紫色だけが消えるわけではない。

染色技術。

織物。

衣服。

地域の記憶。

人の仕事。

そこまで一緒に揺らいでしまう。

生物多様性の喪失は、文化の多様性の喪失にもつながる。

そう考えると、

「生きものを守る」

という言葉の意味も、少し変わって見えます。

観光は「見る」から「関係を知る」へ

ここは、観光に関わる私たちにとっても大切な問いだと思います。

珍しいから触る。

きれいだから持ち帰る。

美味しいから食べる。

写真を撮ったら終わる。

そうではなく、

「なぜ、ここにこの生きものがいるんだろう?」

と、一歩みちくさしてみる。

なぜ、この岩なのか。

なぜ波が必要なのか。

なぜ紫色が生まれるのか。

なぜ地域の人は殺さずに利用してきたのか。

そこまで知ってから同じ海岸を見ると、

風景の見え方は大きく変わります。

観光は、

場所を見ることから、場所に存在する「関係」を知ることへ。

そんな方向へ変わっていけるのではないでしょうか。

地域資源は「物」ではなく「関係」

一匹の小さな巻貝。

それだけを見れば、

「珍しい海の生きもの」

です。

でも少しみちくさしてみると、

岩との関係。

潮との関係。

太陽との関係。

海流との関係。

染める人との関係。

織る人との関係。

地域文化との関係。

経済との関係。

観光との関係。

一本一本の線が見えてきます。

私は、地域資源というものは、

珍しい生きもの。

絶景。

古い建物。

名物料理。

という**「物」のリストではない**と思っています。

その土地で、

自然と人が、

長い時間をかけてつくってきた

「関係」そのもの。

そこに、本当の地域価値があるのではないでしょうか。

日本の磯へ戻って考える

そして、もう一度この夏の大阪湾へ戻ります。

マツバガイ。

カメノテ。

カイメン。

ヒザラガイ。

どれも、人間に何かを教えるためにそこにいるわけではありません。

それぞれの方法で、

波に耐え、

乾燥に耐え、

潮の満ち引きに適応し、

その場所で生きています。

でも、

「なんでこんなところにいるんだろう?」

「なんでこんな形なんだろう?」

「どうして剥がれないんだろう?」

と立ち止まってみる。

すると、

一匹の生きものから、

海。

岩。

地形。

進化。

食。

文化。

経済。

観光。

までつながってしまう。

最初は、

「この貝、なんでこんなに剥がれないんだ?」

という小さな違和感でした。

でも、その答えを追いかけていくと、

最後には、

私たちは自然と、どんな関係をつくって生きていくのか。

という大きな問いにたどり着きました。

やっぱり、みちくさは面白い。


参考・出典

今回の記事の起点となったのは、2026年9月4日のUNESCOによるオアハカ州の生物文化遺産と地域経済に関する発表です。(ユネスコ)

紫貝の生態・伝統利用・1980年代の工業的利用については、メキシコ環境天然資源省(SEMARNAT)の資料を参照しました。(Gobierno de México)

紫貝の幼生分散と海流との関係については、メキシコ太平洋岸のPlicopurpura pansaを対象とした系統地理学研究を参照しました。(Scielo México)

日本のヒザラガイ類については、国立科学博物館の資料を参照しました。(国立科学博物館)


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